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小泉文夫の音楽の根源にあるものという本を読んでかなり衝撃を受けた。
小泉先生は世界中の民族音楽を研究なさっていた民族音楽学者だ。
この本の中で先生は明治維新において、日本人は西洋列強の仲間入りを目指し
学校で習う音楽を全て西洋音楽にしてしまったことをとても問題視されている。
音楽というものは、それぞれの民族の住む土地や習慣に根付いたものであり
その音楽を持つ民族の心やアイデンティティと深く関係している。
料理に例えると、我々はいきなり学校で母の味である味噌汁ではなく
フランス料理のようなもの?を習わされて育ってきたという訳だ。
よその国の人に日本の味を紹介するときには「どこそこに行けば
味噌汁が食べられるよ」と言ってになにも気にせずにここまできた。
明治維新以降日本は音楽において、強い影響力のある国の音楽を模倣してきた。
戦前にはドイツやイギリス、ヨーロッパの西洋音楽を真似、
戦後~高度経済成長にはアメリカのシティポップス、フォーク、ジャズを真似してきた。
そして今、アメリカにかつての光が見えなくなり日本は宙ぶらりんになっている。
教育現場から自国の音楽が一切排除されてからというもの我々は自国の音楽を知ったり教わったりする機会がほとんどなくなってしまった。
もともと日本人は自国の文化と外国の文化を混ぜ合わせることが得意なのだが、
これでは音楽において自国の要素は世代を追うごとに少なくなるばかりである。
僕ら(ゆとりとかいう世代)が小学生だった頃に学校で日本の音楽を習わせようと言い出したのだが、現在の教育現場にいる音楽教師というのはだいたい小さい頃からピアノを習って音大を出たようなバリバリ西洋音楽に浸かって育ったというような人たちであり日本の音楽など教えられるはずもなかった。
おかげで僕らは三味線も琵琶も弾けない。
常磐津と清元も聴いて区別がつかない。
というか「なにそれ?食べれるの?」という感じになっている。
これは日本が根無し草と言われるようになっていることや最近の若者が元気ないように見えるのとすごく関係してると思う。外側ばかり見て内側に目を向けていなかったからだ。
団塊の世代の人たちがパワフルだったのはアメリカ文化が圧倒的な光を放っていたからだ。
今の若者はバリケード封鎖もしないし機動隊とも闘えない。
今、インドが急成長していてそのうち日本を追い越すと言ってるのをよく聞く。
インドはイギリスから独立した後一切の西洋音楽を排除して
学校で教える音楽は全てインド音楽という政策をとったという。
自分を見つめることでそのアイデンティティをいっそう強くしていったに違いない。
この本を読んでからというもの
僕はなんだかとてもやるせない気持ちになってしまった。
漠然と「どうしたらいいんだろう?」とずっと考えている。
小泉先生は世界中の民族音楽を研究なさっていた民族音楽学者だ。
この本の中で先生は明治維新において、日本人は西洋列強の仲間入りを目指し
学校で習う音楽を全て西洋音楽にしてしまったことをとても問題視されている。
音楽というものは、それぞれの民族の住む土地や習慣に根付いたものであり
その音楽を持つ民族の心やアイデンティティと深く関係している。
料理に例えると、我々はいきなり学校で母の味である味噌汁ではなく
フランス料理のようなもの?を習わされて育ってきたという訳だ。
よその国の人に日本の味を紹介するときには「どこそこに行けば
味噌汁が食べられるよ」と言ってになにも気にせずにここまできた。
明治維新以降日本は音楽において、強い影響力のある国の音楽を模倣してきた。
戦前にはドイツやイギリス、ヨーロッパの西洋音楽を真似、
戦後~高度経済成長にはアメリカのシティポップス、フォーク、ジャズを真似してきた。
そして今、アメリカにかつての光が見えなくなり日本は宙ぶらりんになっている。
教育現場から自国の音楽が一切排除されてからというもの我々は自国の音楽を知ったり教わったりする機会がほとんどなくなってしまった。
もともと日本人は自国の文化と外国の文化を混ぜ合わせることが得意なのだが、
これでは音楽において自国の要素は世代を追うごとに少なくなるばかりである。
僕ら(ゆとりとかいう世代)が小学生だった頃に学校で日本の音楽を習わせようと言い出したのだが、現在の教育現場にいる音楽教師というのはだいたい小さい頃からピアノを習って音大を出たようなバリバリ西洋音楽に浸かって育ったというような人たちであり日本の音楽など教えられるはずもなかった。
おかげで僕らは三味線も琵琶も弾けない。
常磐津と清元も聴いて区別がつかない。
というか「なにそれ?食べれるの?」という感じになっている。
これは日本が根無し草と言われるようになっていることや最近の若者が元気ないように見えるのとすごく関係してると思う。外側ばかり見て内側に目を向けていなかったからだ。
団塊の世代の人たちがパワフルだったのはアメリカ文化が圧倒的な光を放っていたからだ。
今の若者はバリケード封鎖もしないし機動隊とも闘えない。
今、インドが急成長していてそのうち日本を追い越すと言ってるのをよく聞く。
インドはイギリスから独立した後一切の西洋音楽を排除して
学校で教える音楽は全てインド音楽という政策をとったという。
自分を見つめることでそのアイデンティティをいっそう強くしていったに違いない。
この本を読んでからというもの
僕はなんだかとてもやるせない気持ちになってしまった。
漠然と「どうしたらいいんだろう?」とずっと考えている。
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COMMENT
明治維新
維新が日本人全般に対して何かの変革をもたらしたかというと、表面的なことに過ぎなかったように思います。 苗字を名乗ったり、洋服を着たり、身分の区別も表面的にはなくなったけれど、精神の奥深くではほとんどの人が上への隷従状態を引きずったまま近代化だけどんどん進んだように思えます。
戦後アメリカ産の民主主義が入ってきて、またしても形だけの民主化が行われたわけだけど、精神状態は以前とほとんど変わらなかった。 プレモダニズムにどっぷりで現在まで来ているという風に見えます。
本当にいい影響を欧米から得るならば、欧米の音楽や文化よりも「個人主義」が必要なんです。 福沢諭吉などを通してその影響は私たちに届くはずなのに、多くの人には届いていない。なんとかして、体制べったりの精神性を抜け出さないと、日本人はミジメになるばかりでしょう。
団塊世代はアメリカ文化からパワーを得ていたのか? そうではないと思う。
アメリカ文化はそのへんにあふれていただけで、日本人の心まで支配はできなかった。 たいていの人はそうですよ。 多分に日本的です。土着民です。
団塊イコール何々でくくることはできないです。私なんかは例外中の例外。 でも影響をうけたのは主に音楽だけ。中身は漱石や太宰を愛する純日本人ですからね。
体制べったりというか、全体主義をぶっちぎって、個人個人が誇りを持たなければいけないときだと思います。
戦後アメリカ産の民主主義が入ってきて、またしても形だけの民主化が行われたわけだけど、精神状態は以前とほとんど変わらなかった。 プレモダニズムにどっぷりで現在まで来ているという風に見えます。
本当にいい影響を欧米から得るならば、欧米の音楽や文化よりも「個人主義」が必要なんです。 福沢諭吉などを通してその影響は私たちに届くはずなのに、多くの人には届いていない。なんとかして、体制べったりの精神性を抜け出さないと、日本人はミジメになるばかりでしょう。
団塊世代はアメリカ文化からパワーを得ていたのか? そうではないと思う。
アメリカ文化はそのへんにあふれていただけで、日本人の心まで支配はできなかった。 たいていの人はそうですよ。 多分に日本的です。土着民です。
団塊イコール何々でくくることはできないです。私なんかは例外中の例外。 でも影響をうけたのは主に音楽だけ。中身は漱石や太宰を愛する純日本人ですからね。
体制べったりというか、全体主義をぶっちぎって、個人個人が誇りを持たなければいけないときだと思います。
プロフィール
HN:
teratera28
性別:
男性
自己紹介:
テラダクニヒコという宅録アーティスト
いろいろな音楽を知りたいです。
たまたま音楽が好きで
たまたま暇な人は読んでください。
アコギ一本で歌ったりもします。
連絡先 tedada_kunihiko@yahoo.co.jp
いろいろな音楽を知りたいです。
たまたま音楽が好きで
たまたま暇な人は読んでください。
アコギ一本で歌ったりもします。
連絡先 tedada_kunihiko@yahoo.co.jp
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